2008年01月16日
天守閣
今でいう六本木ヒルズみたいなもんですかね。。
天守(てんしゅ)とは日本の戦国時代以降城の中心的存在となった建造物をいう。殿主、殿守、天主などの字も当てられる。他に大櫓や天守櫓などと呼ぶ城もあった。現在では、天守のない城の三階櫓やそれに順ずる象徴的な櫓も天守に分類され、それらを総称して天守建築などということもある。 天守閣(てんしゅかく)と一般的には呼ばれているが、明治時代前後に見られるようになった俗称である。
起源は城主の館が発展したものと、高層の物見櫓が折衷したものと考えられている。金閣などの亭建築が発展したとも、以上のそれらが合わさったものなどとも考えられている。
名前の起こりは殿主、殿守から由来するか、仏教思想やキリスト教のゼウスの鈍ったもの(天主)等の宗教思想からの命名等とも考えられているが、定かではない。宮上茂隆氏によると天守の名称の由来は岐阜城の天主が始まりであり、織田信長が、策彦周良に依頼して麓にあったという四階の御殿に命名したものであるという。
初期の頃は物見櫓・司令塔・攻城戦の最終防御設備としての要素が強かったが、織田信長の近畿平定の頃からは遠方からでも見望出来る華麗な権力を象徴する建造物という色彩が濃くなっていったものと考えられているが定説ではない。
何から発展したか、始まったかは今もって不明である。
天守の初見といえるものは複数あったものと見られているが、いずれかが起源であるとはいえない。
一般的に今日見られる本格的天守(五重以上のもの)の最初のものとされているのは織田信長が天正7年(1579年)に建造した安土城(滋賀県安土町)の天主であるといわれる。
天守のような象徴的な建物は安土城以前に全くなかったわけではなく、1469年前後の江戸城にあった太田道灌の静勝軒、摂津伊丹城(兵庫県伊丹市)[1]また松永久秀が永禄年間(1558年 - 1569年)に築いた大和多聞山城や信貴山城の四階櫓などが各地に造られていた。
(以上、ウィキペディアより引用)
僕は昔でもそこにはいれない存在だったんだろーなー。
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